東京高等裁判所 平成2年(行ケ)240号 判決 1991年4月16日
愛媛県松山市馬木町七〇〇番地
原告
井関農機株式会社
右代表者代表取締役
水田栄久
右訴訟代理人弁理士
舘川政治
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被告
特許庁長官 植松敏
右指定代理人通商産業技官
野口勇
同
田辺隆
同事務官
高野清
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者が求める裁判
一 原告
「特許庁が昭和六三年審判第一〇五三八号事件について平成二年八月九日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
二 被告
主文と同旨の判決
第二 原告の請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和五七年四月二〇日意匠に係る物品を「育苗器」とする、別紙Aに表示の意匠(以下、「本願意匠」という。)について意匠登録出願(昭和五七年意匠登録願第一七三二三号)をしたが、昭和六三年五月二〇日拒絶査定がなされたので、同年六月一〇日査定不服の審判を請求し、昭和六三年審判第一〇五三八号事件として審理された結果、平成二年八月九日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年九月二八日原告に送達された。
二 審決の理由の要点
1 本願意匠の意匠に係る物品及び態様は、前項記載のとおりである。
2 これに対し、昭和五五年五月二三日特許庁発行の意匠公報に掲載された、登録第五二八三一一号意匠の類似第二号意匠(昭和四九年一〇月二四日出願の昭和四九年意匠登録願第三七二一二号、昭和五五年二月二八日意匠登録。以下、「引用意匠」という。)は、意匠に係る物品を「育苗箱」とする、別紙Bに表示の意匠である。
3 本願意匠と引用意匠を対比すると、両意匠は、意匠に係る物品が共通し、基本的態様が、ほぼ四角錐台形の小容器多数を、平面視においてほぼ方形状に整然と並べ、このようにほぼ格子状に区画されたほぼ正方形の中央に、小円孔を現すことによつて構成されている点においても、共通する。
しかしながら、両意匠には、左記の三点において差異が認められる。すなわち、
<1> 小容器の数が、本願意匠が縦一〇列、横一四列、合計一四〇個であるのに対し、引用意匠は縦一七列、横一七列、合計二八九個である点
<2> 本願意匠(昭和六一年七月一七日付け手続補正書の図面代用写真による。)が、ほぼ四角錐台形の底面を開口部とするのに対し、引用意匠は、ほぼ四角錐台形の上面を開口部とする点(すなわち、両意匠は、小容器の天地が逆である点)
<3> 本願意匠の小容器の形が、やや不揃いで均一でないのに対し、引用意匠の小容器の形は均一で、整然と並べられている点
4 そこで、本願意匠と引用意匠を全体として観察してみると、両意匠に共通する基本的構成態様は、各意匠の特徴を最もよく現し、意匠の要部をなすものと認められる。
これに対し、差異点<1>(小容器の数)は、小容器を平面視においてほぼ長方形あるいは正方形状に多数並べたことによつて生ずる共通の美感を損うほどの差異ではない(すなわち、平面視においてほぼ方形の格子状に整然と区画された、ほぼ正方形の中央に小円孔が現れる前記の共通点の方が、美感をより支配している。)。
また、差異点<2>(小容器の天地が逆である点)が、意匠に係る物品の使用状態における外観に、差異を生じさせることは事実である。しかしながら、伏せた茶碗も茶碗であることに変わりがないように、前記のような外観の差異は、両意匠に共通する基本的構成態様の特徴に包摂される程度のものにすぎない(なお、本願意匠に係る物品は、引用意匠と同じ向きの使用が否定されるわけではない。)。
さらに、差異点<3>(均一性の有無)は、図面代用写真(本願意匠)と図面(引用意匠)の差による差異、あるいは、材質による差異であるが、そのような差異は、意匠における本質的な要素と考えることはできず、意匠の類否を左右するものではない。
5 以上のとおりであるから、本願意匠と引用意匠は、意匠に係る物品、及び、意匠の要部を共通にするので、両意匠は類似するという他ない。
6 したがつて、本願意匠は意匠法第三条第一項第三号の規定により意匠登録を受けることができないとした原査定は、正当である。
三 審決の取消事由
本願意匠と引用意匠が、審決認定の共通点及び差異点を有することは、認める。
しかしながら、審決は、差異点<2>及び<3>の判断を誤つた結果、本願意匠が引用意匠に類似すると誤つて判断したものであつて、違法であるから、取り消されるべきである。
1 差異点<2>(小容器の天地が逆である点)の判断の誤り審決は、「差異点<2>がもたらす外観の差異は、両意匠に共通する基本的構成態様の特徴に包摂される程度のものにすぎない」と判断している。
しかしながら、本願意匠に係る物品は、図面代用写真に表されているとおり、小容器の底面を上にして使用されるものである。このように、使用時における天地の方向が定まつている物品の意匠について、その意匠の天地を逆にした態様を他の意匠と対比して、その間の類否を論ずるのは、明らかに誤りである。
この点について、被告は、「補正された図面代用写真(小容器の底面が上)は、願書添付の図面代用写真(小容器の底面が下)を反転したものにすぎない」と主張するが、手続補正書による図面代用写真の補正は、本願意匠に係る物品が、従来の育苗器の天地を逆にした使用方法が通常であるので、意匠の態様を正確に表現するためになされたのであるから、被告の前記主張は、失当である。
2 差異点<3>(均一性の有無)の判断の誤り
審決は、「差異点<3>は、意匠における態様の本質的な要素でなく、意匠の類否を左右しない」と判断している。
しかしながら、本願意匠にみられる凹凸は、本願意匠に係る物品の材質(紙材、すなわちパルプ)に基因するものであつて、本願意匠の本質的な特徴であり、補正した図面代用写真に明確に現れている。これに対し、引用意匠がプラスチツク製の育苗器に係るものであることは願書添付図面(別紙B)から明らかであり、両意匠は、材質を異にすることによつて看者に異なる美感を与えるから、審決の前記判断は、誤りである。
第三 請求の原因の認否、及び、被告の主張
一 請求の原因一及び二は、認める。
二 同三は、争う。審決の認定及び判断は正当であつて、審決には原告が主張するような誤りはない。
1 差異点<2>(小容器の天地が逆である点)の判断について
原告の、「本願意匠に係る物品は、小容器の底面を上にして使用されるものである」との主張は、昭和六一年七月一七日付け手続補正書によつて図面代用写真を補正したことが論拠となつている。
しかしながら、補正された図面代用写真(小容器の底面が上)は、願書添付の図面代用写真(小容器の底面が下)を反転したものであるが、本件願書には、小容器の底面が上になつている参考図Ⅰのほかに、小容器の底面が下になつている参考図Ⅱが示され、「育苗箱を使わなくても使用状態説明図Ⅱの通り地面に直接育苗器を敷設しても育苗できる」(第三頁第六行及び第七行)と記載されているから、本願意匠に係る物品は、補正された図面代用写真に示された状態(小容器の底面が上)を、固定的な使用状態と考える必要のないものである。したがつて、「本願意匠に係る物品は、使用時における天地の方向が定まつている」ことを論拠として、差異点<2>に関する審決の判断が誤りである、とする原告の主張は、失当である。
2 差異点<3>(均一性の有無)の判断について
育苗器に紙材を用いることは、本件出願当時、当業者に周知の事項であつたから、本願意匠に現れている材質(紙材)に基因する質感は、何ら特徴的なものでなく、本願意匠における本質的な要素になつていない。したがつて、差異点<3>に関する審決の判断にも、誤りはない。
第四 証拠関係
証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
第一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)及び二(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。
第二 そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。
一 成立に争いない乙第二号証(手続補正書)によれば、本願意匠は、意匠に係る物品を「育苗器」とし、別紙A表示の態様のものであるが、その基本的態様は、ほぼ四角錐台の小容器を多数、平面視においてほぼ格子状に整然と並べて全体をほぼ方形(長方形)とし、かつ、平面視においてほぼ正方形である各小容器の中央に、小円孔を現すことによつて構成されていると認められる。
一方、成立に争いない甲第二号証(意匠公報)によれば、引用意匠は、意匠に係る物品を「育苗箱」とし、別紙B表示の態様のものであるが、その基本的態様も、ほぼ四角錐台の小容器を多数、平面視においてほぼ格子状に整然と並べて全体をほぼ方形(正方形)とし、かつ、平面視においてほぼ正方形である各小容器の中央に、小円孔を現すことによつて構成されていると認められる。
そして、本願意匠と引用意匠を全体として観察すると、上記のように両意匠に共通する基本的な構成態様が、それぞれの意匠の要部をなし、それぞれの意匠における美感を支配していることが、明らかである。
二 本願意匠と引用意匠が、審決認定のように三点の差異点を有することは、当事者間に争いがなく、差異点<1>に関する審決の判断が正当であることは、原告も認めるところである。
ところで、審決認定の差異点は、いずれも、前記の基本的な構成態様をさらに詳細に観察することによつて把握される、意匠の細部にわたる態様であるから、それぞれの意匠の具体的な構成態様に係るものということができる。しかるに、原告は、「差異点<2>及び<3>についての審決の判断は誤りであり、本願意匠と引用意匠は、これらの差異点によつて看者に異なる美感を与えるから、本願意匠は引用意匠に類似する意匠ではない」と主張するので、以下、これらの点について検討する。
1 差異点<2>(小容器の天地が逆である点)の判断について
原告は、「本願意匠に係る物品は小容器の底面を上にして使用されるものであるから、その意匠の天地を逆にした態様を他の意匠と対比して類否を論ずるのは、誤りである」と主張する。
しかしながら、成立に争いない乙第一号証(意匠登録願書)によれば、本願意匠の登録願書の添付図面二枚目には、小容器の底面を上にした参考図Ⅰと、小容器の底面を下にした参考図Ⅱが示され(別紙C参照)、意匠に係る物品の説明として、「参考図Ⅰあるいは参考図Ⅱに示した通り多数の苗根通過孔が底面に明けられている育苗箱内にセツトして使われるが、参考図Ⅱに示した場合はそのまま床土をボツト内に詰めて播種、覆土、灌水をして育苗する。参考図Ⅰに示した場合は育苗箱にセツトした後からボツト内へ床土、播種ができ難いために、まず最初、平滑な板体上に参考図Ⅱの状態で育苗器を置き、床土を少しばかり入れたのち播種し、続いて床土を詰め、その後、この育苗器を育苗箱でふせ込み、反転したのち板体を除くことによつて育苗管理するとよく、このとき使用状態説明図Ⅰの通り育苗できる。」(第二頁第一六行ないし第三頁第五行)と記載されていることが認められる。
要するに、本願意匠に係る物品は、小容器の底面を下にした参考図Ⅱの状態で使用することも、小容器の底面を上にした参考図Ⅰの状態で使用することも可能である(ただし、後者の状態で使用するときは、使用方法がやや複雑になる。)というのであるから、「本願意匠に係る物品は、使用時における天地の方向が定まつている」という原告の主張は、失当である。
そして、意匠の類否判断においては、意匠に係る物品の使用状態をも考慮すべきであるところ、本願意匠に係る物品のように使用時における天地の方向が定まつていないときは、その天地を逆にした態様を他の意匠と対比することも、意匠の類否判断の一手法として許されるべきであるから、「差異点<2>によつて生ずる外観上の差異は、両意匠に共通する基本的構成態様の特徴に包摂される」とした審決の判断を、誤りとすることはできない。
2 差異点<3>(均一性の有無)の判断について
原告は、「本願意匠にみられる凹凸は、本願意匠の本質的な特徴である」と主張する。
たしかに、意匠に係る物品の材質に基因する質感は、それが物品の模様あるいは色彩に特徴的に現れ、物品の美感に影響を与えているならば、意匠の類否判断において考慮される場合もあり得ると考えられる。
これを本件についてみると、本願意匠に係る物品の材質に基因する質感は、別紙Aの「正面図、背面図、右側面図、左側面図」に現れていると認められるが、これらと、別紙Bの「正面図、右側面図、A-A断面図」を対比してみると、本願意匠に係る物品の材質に基因する質感は、とりたてて特微的なものとはいえず、物品の美感に格別の影響を与えているとも認められない(念のため付言すれば、日常しばしば目にし手に触れて使用する物品ならば、材質に基因する質感の細かな差異であつても、物品の美感に影響を与えることがあり得ると思われる。しかしながら、育苗器は、前記のように、育苗箱内にセツトして土を詰め、灌水などをして使用されるものであるから、材質に基因する質感の細かな差異が美感に影響を与えることは、到底考えられないというべきである。)。
したがつて、差異点<3>に関する審決の判断にも、誤りはない。
三 以上のとおり、本願意匠と引用意匠は、意匠に係る物品が共通し、意匠の要部を形成する基本的な構成態様も共通する一方、具体的な構成態様における各差異点が、基本的な構成態様の共通性を越えて、両意匠に別異の美感を生じさせるとは認められない。
したがつて、本願意匠と引用意匠は類似するとした審決の認定及び判断は正当であつて、審決には原告が主張するような誤りはない。
第三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官岩田嘉彦は、填補のため、署名捺印することができない。 裁判長裁判官 竹田稔)
別紙図面A
<省略>
別紙図面B
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別紙図面C
<省略>